月経カップが奥深く入り込んで取れない

突然だが、私は現在月経カップを利用しはじめて2ヶ月ほどになる。

実は4年ほど前にも使っていたのだが、正直不便なので一度使用をやめた。

何が不便だったかというと、カップを取るのにめちゃくちゃ時間がかかるという点である。

 

昨今ではかなり月経カップが流行ってきて、数多の手だれたちが簡単な取り出し方を伝授してくれている。

だがはっきり申し上げたい。簡単に取れるのは、カップがある程度下に降りてきている時だけだ。

 

出勤前の戦争のような朝の時間に月経カップと格闘するのは現実的ではない、と判断して一時使用をやめた私は、

コロナ影響で在宅勤務となり、朝の時間に余裕が出来たので使用を再開したというわけだ。

 

では一体どんな時にカップが奥底に潜り込んでしまうのか?

様々なシチュエーションがあると思うが、私が検証を重ねてたどり着いた答えはこれだ。

 

「性的に興奮すると月経カップはものすごい奥に引っ込む」

 

そう。生理中は膣内の血の巡りも良くなるらしいし、ホルモンやらなんやかんやでムラつく女性も少なくないと思う。

そうすると、膣は勝手に中のものを奥の方へ引きずり込もうと動くのか、カップも一緒に引っ張り込まれてしまう。

自慰行為なんかに耽った暁には、月経カップはあなたの預かり知らぬ体の奥底へと潜り込んでしまう。まさにブラックホールだ。

 

月経カップの説明書には大抵、「タンポンと違って月経カップは膣の入り口付近に入れるものなので、取れなくなったりすることは少ないです」的な説明が書かれている。

しかし誰も「ただしオナニーをしたらものすごい奥深くに引き摺り込まれます」とは教えてくれない。

 

だが、もし今これを読んでくださっている方の月経カップブラックホールに飲み込まれている真っ最中だとしても、安心してほしい。

カップはいつか必ず下の方に降りてくる。

今は宇宙旅行に出ていると思うが、普段通りの生活をしていればそのうち帰ってくるのだ。

 

日常生活ではトイレなどで軽く膣に力を入れる瞬間などがあると思うが、そういうことをしているうちにいつの間にか割と下の方に下がってきている。

 

あとは指を突っ込んでステムの部分を渾身の力で摘み、いきむ。

いきむとカップがにゅるっと出てくるが、いきむのをやめると引っ込もうとする。

それを指でつまむことで阻止し、少しずつカップを出していくのだ。

 

決して焦って指の力だけで引っ張り出そうとしてはいけない。カップは超強力吸盤の如く、あなたの膣内に吸い付いて真空空間を作り出している。

あくまでも地道にいきみ、指で掴み、を繰り返そう。

そしてカップの底の方が出てきたら、ステムを摘んでいない方の手でカップを凹ませ、膣とカップの間に隙間を作り真空状態を解除する。

 

これであなたはカップから解放される。

 

ここでやってはいけないのは、膣の収縮によって奥底に潜り込んだカップを、焦りや緊張などによってさらに奥底へ引きずり込んでしまうことだ(言わずもがな、ここでさらに性的に興奮するなど言語道断)。

 

どうか焦らずカップが帰ってくるのを待っていただきたい。ただし、待てど暮らせど帰ってこない場合は病院で取ってもらおう。

 

 

何はともあれ、結論私には月経カップは向いていない。(でも便利だから使う)

皆様もぜひ素敵な月経カップライフを。

 

でも生きてる

よく晴れた休日に、近所に買い出しに出掛けたその帰り。

 

あー、平和だなあ。と思いながら歩いていて、

でもそんな穏やかな時間でも、私はいつものように、一歩踏み出すごとに昔の恥ずかしかったこと、嫌だったことをポンポンと思い出している。

 

それはいつものことだから慣れっこで、

そんなのんびりした日になんとなく、「あぁ、私は消えてなくなったほうがきっと幸せなんだ」と悟った。

 

今まで少しでも生きやすく、ほんのわずかでも幸せになれるように、一生懸命試行錯誤してきたけど。

こんなに平和な日でも、こんなに穏やかな心持ちでも、私は結局苦しいのだと気付いた。

それなら、私が一番幸せになる方法はきっと消えてなくなることなんだろうな、と。

 

四六時中、どんなに楽しい時でも過去の記憶を思い出し続けているが、そんなことを差し引いても私は人生に向いてない。

 

少しでもストレスがかかると喉が焼けるようにヒリヒリして、頭が痛くなり、呼吸が浅くなって、うまく動けなくなるし。

仕事が終わったら、真っ暗闇で2時間ほど布団に包まってぼーっとしないと、お風呂に入る元気さえないし。

 

音や光が苦手だし、すぐに疲れる。異常なほど。その疲れ方は本当に異常で、理解されたことがない。

 

自分でもよく生きてんなぁ、と笑ってしまう。

 

でも、私は今日も、私の意思で「消えてなくならない」ことを選択している。

 

一体いつまで生きたらいいの、と途方に暮れながら、それでもなぜか生きる方を選択し続けている。

生きててよかったーなんて日はきっと来ないのに。

 

 

今はそれでよしとしましょう。

自己肯定感の上げ方

自己肯定感という言葉が大流行りし出してしばらく経ち、私も例に漏れず、なんとか自己肯定感を上げられないかと四苦八苦している。

 

そんな私が思う自己肯定感を上げるにはやはりこれしかない、という超個人的見解を書いてみようと思います。。。

 

 

結論から言うと「自己肯定感を上げるには地道に自分を大切にするしかない」と思っている。(当たり前のこと言ってますね)

 

まず大前提として、自己肯定感は身長みたいなもんで、高い方がいいとか低い方がいいとか、そういうものではない。

生活や健康に支障が出るなら少し調整したらいいと思うが、困っていないならそのままでいい。

 

でもその困っている人がたくさんいるから、こんなにも自己肯定感の上げ方ハウツーが流行っているわけだ。

そういう人たちに「自分を大切にしよう」というアドバイスはハードルが高い。

大切にできていたらこうなっていないわけだから。

 

 

一方で、

「自己肯定感の低さを気にしている人は、矢印が自分に向きすぎている。」

「自分のことを気にする前にたくさん働いて他人に感謝されよう」

「もっと相手や外の世界に目を向けるべき」

といったアドバイスは、自己肯定感の低い人にとってとても実行しやすい。

 

「あぁ、そうか。私はなんて自己中心的な人間だったんだろう。

他人のためを思って行動していれば、自己肯定感の低さなんて感じる暇もないはず」

なーんて考えるのは大得意で、自分を責めるいつものパターンに半ば意気揚々と戻っていける。

 

でも、それでは自己肯定感は上がらない。

 

自己肯定感が上がると意識が自然と自分以外に向いていくのかもしれないが、

自己肯定感が低い状態で意識を無理やり自分以外に向けようとしても、結局自分に戻ってきてしまう。

 

自己肯定感激低人間は往々にして自己犠牲が大好物だし、初めのうちはハイになって心が軽くなるかもしれないが、そう長くは続かない。

 

 

こういったアドバイスを受けた人の中には、恐らく他人のために身を粉にして働いた結果、自己肯定感が上がった人もいると思う。

だがそれは自分のためにそうしたのであって、その結果自分が満たされて自己肯定感が上がったのではないだろうか。

 

自分をどうやって大切にするかは人それぞれだが、自分を蔑ろにして他人を大切にしていても、多分自己肯定感は上がらない。

 

 

そもそもなんで自己肯定感を上げたいのか?

それは自己肯定感が低いと「変な所でめちゃくちゃ自意識過剰になってしまうから」に他ならないと思う。

 

生き物として、種を存続する為にはある一定レベルの自己肯定感がないと困る。

それなのに自己を肯定することに嫌悪感がある私は、事あるごとに自分をいじめて精神のバランスを保とうとする。

そうすると、生き物の本能のようなものが隙あらば自分をあの手この手で満たそうとしてくる。

 

自分が嫌いな私と生き物の本能がせめぎ合い、「私」を巡ってヒッチャカメッチャカになっているのを見て見ぬ振りしても、問題の根本は解決しないと思う。

 

だから、自分と向き合うしかない。

自分と向き合うなんてまるで自分のことが好きみたいだし、

嫌いな自分をじっくり見るのなんてすごく嫌だし、

自分に何かしてあげるたびに自分のことを嫌いになっていく気がするけど、

それでも自分の中のバランスが整うまで自分をよく観察して自分に味方し続けるしかない。

それが、「自分を大切にする」ことだと思う。

 

 

我慢して地道に自分を大切にしていると、いつかコップから水が溢れるように少しずつ世界を客観的に見られるようになる。

そうすると、

「自分は自分なりに頑張っていたんだな」

「あの感謝の言葉は皮肉ではなく、素直に私を褒めてくれていたんだな」

とかがちょっとずつ分かるようになってくる。

 

自分の中の無駄なせめぎ合いがなくなり、エネルギーを他のことに使えるようになってくる。

自分のやりたい事が分かり、無理してハイにならなくても頑張れることが見つかっていく。

「視線を外の世界へ向け、感謝されるために働く」のはこれが出来てからやった方がいいし、

これが出来るようになれば誰のために働くかは大した問題ではない気がする。

 

 

偉そうに言っているが、私も自分を大切になんて全然出来ていない。

事あるごとに衝動的に自分を虐めてしまう。

でも、ここ何年かでほんのちょっとずつ自分と向き合えてきている気がする。ほんと一年に1ミリくらいのイメージだが。

 

 

これからも自己肯定感道は続く。。。

私の中の小さい子

ちょっと前にアダルトチルドレンという言葉が流行った気がするが、

それと同じかは分からないけど、私の中には3歳くらいの私がハッキリと存在する。

今日は、その子が泣きじゃくっていた時のことを記録しておこうと思います。

 

 

自分の中に複数の自分が存在することは、私にとっては当たり前のことだけど、経験したことのない人にしたら不思議な感じがするんだろうと思う。

3歳の私と大人な私は記憶も共有しているし、その子が喋っている時、私もそれを聞いているので、いわゆる多重人格とかではない。

 

私が気を抜いているときはその子が話し出したり動いたりするけど、例えば人と会っているときなどは出てこずに大人しくしている。

私以外に唯一その子が姿を現すのは彼氏の前だけで、彼氏の前だとかなり出てくる。

出てくると言っても、100%その子が主導権を握るということはほぼなく、大人40%子ども60%、みたいに混ざり合って出てくることが多い。

たまに急に喋り出されると恥ずかしいものの、私はその子が好きだし可愛いと思っている。

 

私のように人格が分かれる条件として、4歳くらいまでの間に深く心が傷つく体験をする、というものがあるらしい。

私はそれをお医者さんに聞いたとき、「でもそんな体験してないんですけど…?」と言ったら

お医者さんに「してないはずないよ、そんなこと言ったら他の人格に怒られるよ(笑)」と返された。

 

私とその子はほぼ全ての記憶を共有しているが、その決定的なトラウマだけは、大人の私は思い出せないのだ。

というより、それを忘れるために人格が作られたんだろうと思う。

小さい頃一体どんなことがあったんだろう?と不思議には思ったものの、人格を統合する治療はその後行わなかった。なんとなくめんどくさいと思ってしまった。

 

それから3ヶ月ほど経ったつい先日のこと、ある漫画を読んでいたら、主人公が忘れていた子供の頃の辛い記憶を思い出してしまい、精神的に追い詰められていく、というシーンが出てきた。(全然シリアスな漫画とかではないですが)

 

「ほーっ、そんな過去があったのかぁ」と思いつつ漫画を読み終わり、さて寝ようとしたら、突然涙が出てきた。

すぐに嗚咽になって、最終的にはわんわん泣きじゃくった。

私は、3歳の子が大泣きしていることは分かったが、なんで泣いているのかが分からず、その子がヒックヒック言いながら泣いているのをただ眺めるしかなかった(正確には自分が泣いているので眺められないが)。

なんとなーく母親に何かされたということは分かったけど、それ以上は何も思い出せない。その夜は、母親に何かされた夢を見たが、起きたらもう思い出せなかった。

 

私はこの出来事があって初めて、ことの重大さを理解した。この子は20年以上、たった1人でこの記憶に苦しみ続けてきたのだ。そしていまだに、その傷は当時と同じ状態のまま彼女を苦しめている。

人格が分かれていても大して不便じゃないし、統合しちゃうのはちょっと寂しいかも、とか言っている場合ではないのだ。

 

この子を助けられるのは文字通り私しかいない。つまり、私を助けられるのは私自身しかいないんだ、と実感した出来事だった。

やっぱり病院に行こう、せめて彼女に何があったのか思い出してあげようと思う。

 

 

 

⭐︎ちなみに読んでいた漫画はこちら⭐︎

ピュアで心あったまる大好きな漫画です。

あせとせっけん(9) (モーニング KC)

あせとせっけん(9) (モーニング KC)

  • 作者:山田 金鉄
  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: コミック
 

 

 

私が実家が苦手な理由はミソフォニア?

こんにちは。

 

私は昔から実家がとても苦手です。

学生の頃からとても苦手で、一人暮らししてからは足が遠のきました。

 

そんな私は今、実家に帰っています。2泊3日だけど、正直とてもつらい。

 

両親のことは嫌いではない。むしろ好き。

母のことはまぁ、、、相容れない部分は多いけど、好きなところもたくさんあります。

父のことは普通に好き。

 

今回の滞在でも、この人たちのこと別に嫌いではないんだよぁ、と実感しています。

 

じゃあ私が小さい頃から感じていた、この怒りや苛立ちや嫌悪感はなんだったんだろう???

 

 

今回の滞在中、私が怒りや嫌悪感を感じた場面は以下の通り

 

  • 母親が電話でお店の予約を取っている時

→母は主語が抜けたり語順が入れ替わったりとかなり特殊な話し方をするため、言いたいことを理解するのが難しい。支離滅裂な話し方をはたから聞いているのが耐えられず、その場から離れた。

 

  • 息を吐くときの「んふぅー」

→息を吐くとき、喉に引っ掛けて音を出す人いますよね?あの音が昔から本当に苦手なんですが、両親ともにあの息の吐き方をすることがあるんですよね。

 

  • ささやき声

→ささやき声も昔から本当に苦手で、母親がよくささやき声を出すのですがその度にガチギレしていました笑

いろんな人のささやき声の中でも特に母親のささやき声が本当に苦手すぎて、思い出すだけで頭痛がします。

断片的に音が聞こえるのと、「たちつてと」や「ぱぴぷぺぽ」の高音(破裂音)だけが目立って聞こえるのがまじで無理。

 

  • 物を口に詰めたまま喋る

→母親は口の中に食べ物をたくさん詰めたままモゴモゴと話すのですが、それが昔から嫌いでした。

昔は「お行儀が悪いから」苛立っているのだと思っていましたが、この音そのものに嫌悪感があるのかも?

 

  • 口の中から聞こえる謎のコポコポ音

→父親は昔からご飯を食べた後、しばらく口の中からコポコポ音をさせるのですが、これも本当に無理。

昨日、例によってご飯後のまったりタイムに父親から「コポ…コポ…」と聞こえてきたときは、白目剥いて足をつねって耐えました。

 

  • 声質

→これを言ったらもうダメじゃんwwwという感じなのですが、母親の声質がどうにも苦手です。母だけじゃなく母の姉妹の声も苦手なので、本当に声質が苦手なんだと思います。

普通の声で喋っている時はまだ大丈夫ですが、大きな声で腹から発声している時、低い音の成分が多く混ざるようになるのですが(いわゆるダミ声)、それが嫌いなのです。

 

  • 声がでかい

→母はとにかく声がでかい人種なのです。電話で話すときに声が大きいのはもちろん、ちょっとしたことで大声をあげます。それがまじで嫌なんですよね。

これも「些細なことで大きな声を出すような性格」が嫌いなのかと思っていたのですが、大声自体が嫌いな可能性が出てきました。

 

ざっとこんな感じですが、どれも音に関わっていることなんですよね。

 

これらの嫌いな音を聞くと、体が強ばり心臓がドキドキし、息が苦しくなったり頭痛がしたりします。そしてとにかく腹が立ったりイライラしたりします。

これってもしかしてミソフォニアなのでは…?

 

(本当にミソフォニアの症状が重い人は吐いたり気絶してしまったりするようなので、私はかなり軽症と言えるかと思います。)

 

 

もし本当に実家が嫌いな理由が音・ミソフォニアにあるのなら、「母親ときちんと関係を構築したいけどどうしてもできない」という悩みも少し解消されるような気がします。

もちろん母の性格は依然としてとても苦手なのですが、音による嫌悪感なら「仕方がない」と心の処理ができます。

 

きっと、ミソフォニアだけどそのことに気付かず苦しい思いをしている方、たくさんいるんじゃないかな。

 

もしかしたらその苛立ち、ただ音によって引き起こされてるだけかもしれません。

 

音の対策ってちょっと難しいですが、でもミソフォニアだと知っているだけで少し心が軽くなるかも、、、。

内在性解離

自分の中に複数の人格があるという話、以前こちらにも投稿したことがあるようなないような気がするのですが、今回はそれに関連したお話を。

 

特別そのことで日常生活に困っているわけではないにしろ、

別人格同士考えていることがあまりにも違うので、全然思考と行動がまとまらないことがあり、

たまに記憶も共有していないことがあるので不便ではあるのです。

 

今日も不便だなぁ、と思うことがあり、何気なくGoogle先生で「自分の中に複数の人格」と検索をかけたら、

「内在性解離」という新出単語が出てきたわけで。

 

診断されたわけではないので分かりませんが、症状はかなり当てはまっている気がします。

 

そして、調べていくうちに治療法に行き当たり、なにやら自分でも簡易的な治療ができるとか。

 

ほう、と思い読み進めると、「複数の人格を統合することで症状が緩和される…」というようなことが書いてありました。

 

これを読んだ瞬間、激しい嫌悪感を突然感じて、スマホを放り出してベッドに倒れ込むほどでした。

一気に動悸がして息苦しくなり、しばらくうずくまりました。

 

自分でもなにが起こったのかさっぱりわからないので、記念(?)に残しておこうと、今こうしてブログを更新しています。

 

これはどういう現象なんでしょうか?

人格を統合するのを、本能的に拒絶してるということなんでしょうか?

統合されたら都合の悪い人格が私の中にいるということでしょうか?

 

なんだか自分の思考と全く別のところで感情が動いた感覚があり、不気味でした。

 

 

クロスオリエンタルに生きる

ここ数年、自分のジェンダーセクシュアリティについてよく考える。

考えても考えてもよく分からないので、答えは出ないまま結局考えるのをやめる。

そしてしばらくしてまた考える。

 

そんなループを繰り返していたが、最近ようやくちょっとずつ分かってきた気がするので、ここに備忘録として書いておく。

 

まず、私の性自認ジェンダーはほぼずっと女性。

ただ、受け(ネコ)の男性に対して性的な感情を抱いているときだけは、男寄りになる。

 

次に、ロマンティックオリエンテーション・恋愛的指向は、男女両方。

今までいわゆる「ひとめぼれ」をしたのは全員女性。可憐さとどこかキリッとした凛々しさを併せ持つ女性にめちゃくちゃ弱い。

一方、なんとなくじんわりと「好きかも〜?」と思ったのは全員男性。背が高めでガッチリしていて声が低い人がタイプ。

 

ただし、好きと依存の違いがよく分からないので、好きっていうのがどんな感情なのかは理解できていない。

ちなみに、現在付き合っている彼氏のことはめちゃくちゃ大好きだが、たまに彼氏のことを間違えて「パパ」と呼ぶくらいには倒錯してるので、これは恋愛感情かと言われるといまいちピンとこない。

 

そして、セクシュアルオリエンテーション性的指向も、男女両方。

ただし自分の性自認が男性になっているときはタチらしいので、ネコ男性しか対象にならない。

一方で、自分の性自認が女性のときは、ウケ(というのもおかしいが受け身な)男性、ネコ女性が対象になる。

 

性的指向が"攻める側の男性"に向くことはないのか?というのがずっと引っかかっていたポイントだったのだが、色々考えた結果、あんまり無さそうだという結論に至った。

そしてこれこそが、今まで男性としかセックス したことのない私の違和感の最大の原因だと思われる。

つまり、男性に攻められることによる心理的興奮は皆無に等しいので、男性とのセックス中は大抵物理的刺激と妄想とで興奮を作り出している。

 

そりゃ私も彼氏を毎回女の子だと妄想したり、タチ男性に成りきったり、果ては彼氏の存在を必死に抹消しながら事を致すのは申し訳ないと思っている。

訓練すれば、男性に攻められる女性として真っ当に夜のオトナな勝負ができるのではないかと思ったこともある。

でもダメだったんだから仕方がない。

 

そんなことを言うとめちゃくちゃ味気ないセックスしてんだろーな、と思われるかもしれないが、

セックス中は唯一、私が恋愛感情を感じる時間だと言っても過言ではない。たまーに、彼氏が好きすぎて死ぬかもと思うことがある。

性的に興奮こそしないが、腕の中に包まれているだけで「ほにゃ〜」と幸せな気分になる。これが好きってことなの?

 

性行為中に自分の性自認が変わっているかも!?と気付いてから、Google先生

「セックス中 ジェンダー 変わる」とか

「性交時 性自認 変わる」とか

いろいろ検索したが、それらしいものは出てこなかったので、この記事がインターネットの大海原で同志と巡り合えていたら嬉しい。

 

そんなわけで男だ女だとややこしく語り散らかした私だが、お恥ずかしながら今まで男性としか性的な関係を持ったことがない。

恋人に至っては、現在の彼氏以外にお付き合いしたことがない。

 

と、ここで疑問が湧いてくる。

私はただの考えすぎなヘテロセクシュアルヘテロロマンティックなのでは?

いや、社会が男女の関係を強要しているだけで、それがなければ私は今頃女性と付き合っていたのでは?

私は本当に人を好きになるという事をまだ知らなくて、それを知るには彼氏以外の人と関係を持ってみるしかないのでは?

などなど・・・

とても厄介で、いくら考えても意味はないと分かっていても、抜け出せなくなることがある。

 

結婚なんてものはさらに恐怖である。

日本では異性としか結婚できないばっかりに、私は私が本当に好きな人と結婚したいと思っているのか?

それとも"普通に結婚"したいから異性と付き合っているのか?

と考えるわけだ。

もう切実に同再婚が当たり前な世の中になってほしい。

 

最後に、彼氏のお話を。

それまでガッチリしたタイプの男性としか関係を持ってこなかった私にとって、中性的な体型の現在の彼氏はかなり特殊だ。

正式には「付き合おう」みたいな合意はないので、付き合っているのか定かではないが。

 

逆にそれが良かったのかもしれない。

私の中での彼は、性別を超越している。彼を男だとは思っていないし、私を女扱いすることもない。

行為中に女の子だと思おうとすれば、ギリギリなんとか頑張れるくらいの小柄さだし。

クロスオリエンティッドな私にとってこの上ない相手である。ありがたや。

 

 

締めは、以前より私がバイブルとして崇めている神BL漫画、

「世田谷シンクロニシティ」を置いておきますね。

恋をするのは女の子、でも欲情するのは男の子な大学生の爽やかラブストーリーです。

受けのメガネ男子が最高なんだよなあ(性癖)

 

 

 

《追記》

"攻める側の男性"に私の性的指向が向く瞬間、ありました。

それはズバリ「私の精神年齢が3歳になっているとき」です。

3歳児の私の状態でこのブログを書くことがまずないので、