頭のてっぺんからつま先まで

母には譲れないことがある。そのひとつが「娘(つまり私)はブサイクだ」ということだ。

私は実際にはめちゃくちゃブサイクなわけでもなく、かといって美人でもない。わりと普通の見た目だ。ただ、母は私が絶対的なブサイクの出来損ないだと信じている。

これから、母が私の容姿や身体的特徴について、私が本当に小さかった頃から今に至るまで、事あるごとに述べてきた事を列挙する。

  • 髪の毛。太くて針金のような髪。床に落ちると気持ち悪い。(母は稀に見る天然パーマのチリチリ頭のなので、髪にかなりのコンプレックスがあるようだ。しかし私は幼い頃、天然パーマこそ選ばれし者だけの美しい特徴で、私の髪質はとても残念だと思い込まされてきた)
  • 眉毛。ゲジゲジの太眉でかわいそう。
  • 目。小さくて一重でかわいそう。(たしかに子どもの頃の写真を見ると目が細い。当時の私は一重=悪口だと思っていたので、小学校の友達に一重羨ましいと言われて激怒した。)
  • 鼻。だんごっ鼻でかわいそう。笑うと横に広がるから、笑わないほうがいい。
  • 歯。とんでもない出っ歯だとのこと。しょっちゅう父と母に笑われていた。大人になって歯列矯正を始めたら、あんたって歯にめちゃくちゃ金かけてるよね。前回やってた矯正は無駄だったの?などとしょっちゅう言ってくる。自分が散々笑いものにしてきたことは忘れたようだ。
  • 唇。分厚いたらこ唇でかわいそう。
  • 顔。死んだ魚のような顔をしていると、本当に魚の腐乱死体を見たような顔をしながら言われたものだ。幼稚園児の私に、魚は死んだら水槽に逆さまになって浮かぶんだよ、あんたはそんな顔をしている。とご丁寧に説明してくれた。
  • 首。なんか変な模様が見えるらしい。母が小学生の頃、首元が小汚い友達がいたのを思い出すらしい。
  • 肌。ザラザラした鮫肌で気持ち悪い、とよく腕を擦りあわされたものだ。
  • 手の爪。母は自分の手になぜかものすごく自信があるようで、自分の指は白魚のようで、爪は美しいカーブを描いている、ということを繰り返し自慢してくる。一方私の爪はベターッッとしてのっぺりして、かわいそうだとのこと。実際、私は母よりもかなり指が細く、大人になってから指輪のサイズに困る、という話をしたら逆ギレされた。
  • 鳩尾。これも小学生のとき、心臓病の友達の鳩尾がすごく窪んでいたらしい。それに似てるので、なんか病気があるんじゃない?と言われていた。
  • 脚。脚が太いと小さい頃からずっと言われてきた。お友達と並んで歩いたのを後ろから見ていて、〇〇ちゃんの脚は細いのにあなたの脚があまりにも太くてびっくりした、などと言われたものだ。小学校高学年になったあたりから、友達に脚が細いと言われるようになってたまげた。
  • 足の形。ベターッッとした扁平足。(母の外反母趾のよく足と並べられて、比べられた。)

 

そういうわけで私はごくごく最近まで自分のことをバケモノだと思っていた。大人になって、綺麗だとか顔がいいと言われ始めて本当にたまげたものだ。(それはたまたまメイクとか光の加減のおかげであって、私の顔は決して美人ではない)

母の言い分はいつもこうだ。自分はこんなに美しいのに、娘のあなたはこんなにブサイクでかわいそう。

私はいつもかわいそう、恥ずかしいと言われてきた。だから幼い頃からいつも自分が恥ずかしかったし、今も自分が生きていることが本当に恥ずかしい。

母がなんで私の容姿をここまで貶したのか、今はよく分かる。母は三姉妹の真ん中で産まれた。姉は外国人のような顔立ちの美人だ。そして妹も顔が整っている。近所でもかわいい子供として有名だったらしい。

一方、母は正直飛び抜けた美人ではない。おまけに激しい天然パーマで目立つ。美人の姉と妹に挟まれて、親からも親戚からも近所の人からも比較されて育ったのだろう。気の毒な話だ。

だから、ブサイクな子供が産まれてきて喜んだ。何も知らない我が子になら、思う存分マウントが取れる。私はこんなに美しいのに、あなたはこんなにブサイクでかわいそう...母自身がずっとされてきたことの復讐に、私はうってつけだったのだ。

母の子どもの頃の写真を、たまたま母の実家で見つけたことがある。私にそっくりだった。今思い出しても気持ち悪いし忌々しい。母は私が産まれてからずっと、そんな気持ちで私を見ていたのかもしれない。

子どもの頃は、母のことを美人だと思っていた。そう思い込まされていたからだ。けど、大人になって客観的に母の顔を見ると、かなり平均的だ。美人でもブスでもない。普通だ。

幼い頃、親に容姿をからかわれたときの私は、傷ついていることを悟られないように、取り繕った歪んだ笑顔で彼らと一緒に笑っていた。(母だけでなく父も一緒に笑っていたから、私は本当にどうしようもないブサイクなんだと信じて疑わなかった)

大人になって、いまだに事あるごとに私の容姿を貶してくる母を聞き流しながら、私たちはバケモノ親子だなと思う。母の全身に回った恥や嫉妬の毒は、もう私にも手遅れなレベルで回っている。母が私を頭のてっぺんからつま先まで貶したように、私も私の頭のてっぺんからつま先まで、存在の全てを恥じていて、この世から跡形もなく消え去れたらどんなにいいかと思う。

吉本ばななさんのnoteを読んだ 2

吉本ばななさんのnote記事、「クラウディクラウドファンディング」を読んだ。

 

前の感想に加えて、もうひとつへぇー!と思ったことがある。それは「被虐待児でも我が子を可愛いと思えるんだなぁ」ということ。

私が確か高校生くらいの時に、私は母にこう断った。「お母さんは悪くない。だけどお母さんはおじいちゃん(村一番の偏屈おやじ)に育てられてこうなってしまった。だから私は子供を産まない」と。(そのおかげが、私は一人っ子だが孫はまだ?などと聞かれたことは一度もない)

この考え方は今も変わっていない。もうこの歳になれば、周りはやれ子供が産まれただ、保育園はどうだ、妊活がどうだ、卵子凍結がどうだという話題で持ちきりである。私はそれをすごいなぁと聞いている。

0.1%でも我が子を幸せにできない可能性があるなら、愛せない可能性があるなら、きちんと育てられない可能性があるなら、私は子供を産めない。こちらの都合で勝手にこの世に召喚しておいて、「あ、やっぱり思ったのと違った」なんてことはあまりにも自分勝手だと思うからだ。

もちろん、大抵の人は「試しに子供でも産んでみよう♩全然愛せなくても別にいいか!」とは考えていないと思う。でも、どんな子が産まれてくるかは全くわからないのだから、性別ですらコントロールできないのだから、もし自分と全くそりの合わない子が出てきたらどうするつもりなのだろう?それに子供を食べさせるだけでも大変だ。加えて今のご時世、本人が望むなら大学まで行かせたい。我が子をそこまで養う算段が付いているのだろうか?

私は親に対して、「なぜ私を産んだ?」と子どもの頃からいつも疑問に思っていた。恨みとかではなく純粋に、なんで大して愛しもしない子供を産んだのか不思議だった。だから、ほんの僅かでも親になる責任を果たせなくなる可能性があるなら、子供を産むなどという選択肢は取れない。まだ「産まれない」という選択肢を持っている未来の我が子が羨ましいくらいだ。

しかし周りの友人たちは、そんなこと微塵も疑っていないような顔で、子供を産むことを前提に話をしている。何の疑いもなく、自分の子どもとして産まれてくるのは幸せなことだと信じているようだ。

私の母もたぶん虐待されて育ったのだと思う。それなのに、母はなぜ「自分も我が子を虐待するかもしれない」と疑い、踏み止まらなかったのか?なぜ子供を産むという選択に至ったのか?心の中でずっと母を責めてきた。産まれたかなどなかった、と。でも、母は知能がちょっと低いように見えるから、そのことに思い当たらなかったのかもしれない。ならば、私が授かったこの知能は神様からのプレゼントだ。(私は若干IQが高い。興味本位でメンサ会員になったこともある)親子の負の連鎖に気付き、この流れを断ち切りなさいと神様に言われているのだと思った。私はまだ見ぬ我が子を心から愛しているゆえに、今世でその子をこの世に産み出すことはしたくないのだ。

それに、もし子どもが私に似ていたら。さらには母に似ていたら。私はその子を愛せる自信がない。もし愛せたとしても、親に愛されている我が子に嫉妬するだろうと思う。子は親の気持ちを読み取ることができるから、言葉にしなくても心のわだかまりは絶対に伝わる。だから子どもは作れない。

そして愛する我が子をもし母が抱いていたら?私と同じように毒を浴びせかけていたら?絶対に許せない。考えただけでも恐ろしい。

ところが、noteで被虐待児であると告白した吉本ばななさんは、ご自身のお子さんを見て「これはたまらなくかわいいものだ!」と思い、目一杯の愛情をかけてこられたという。

そんなことが可能な人もいるのかとびっくりした。まず、子供を産むという決断に至ったことが驚きだ。ただこれに関しては、たしか吉本ばななさんは計画的に妊娠されたわけではなかったと思う。(20年くらい前に実家近くの本屋でチラッと立ち読みしたばななさんのエッセイに、「生理だと油断して避妊せずセックスしたら授かった」ということが書かれていた記憶がある。いかんせんこどもの頃の記憶なので、思い違いかもしれないが)でも産み育てる決断をした。そして産まれてみたらとっても可愛いくて、独り立ちするまでその気持ちが変わることは一時もなかったらしい。もちろん虐待など一切していないだろう。本当にそんなことが可能なのか...?

それに、もし虐待をしなかったとしても、正しく愛情を伝え、正しく人間関係を構築することは可能なのか?被虐待児は少なからず愛着障害やパーソナリティ障害を持っているはずだ。どんなに我が子を愛したところで、強い執着や依存、または行き過ぎた放任が発生しては、親子関係は歪んでしまうだろう。親子関係が歪んでいれば、子はどうやって社会の中で人間関係を築けばよいかわからなくなるはずだ。

でも、吉本ばななさんのお子さんは男の子だ。母と娘というのはまたちょっと違う気がする。例えば、私の母は事あるごとに娘である私に張り合ってくるが、もし私が男だったら恐らくこうはならなかったと思う。その時はその時で、今度は父との軋轢が生じるのかもしれないが。

とにかく、この人生という苦行を、まだ知りもしない赤の他人(未来の我が子)に勝手に与えるのはかなり横暴だと思う。しかも懲役80年を超えるわけだ。国家や人類の存続など知ったことではない。我が子を守る方がずっと大切だ。

でも吉本ばななさんの記事を読んで、産んでみたら意外となんとかなるんだろうな、という気もしてきた。進んで産むことは絶対にしないが、もし万が一できちゃった時のための希望にはなった。

吉本ばななさんのnoteを読んだ

最近バズっているらしい吉本ばななさんのnoteを読んだ。

「クラウディクラウドファンディング」という記事。

ご自身にお子さんができたとき、とてもかわいく感じて、これまでのお母上との関係の答え合わせができたと書かれている。

母は私をさほど愛していなかったんだ、というかそれどころじゃなかったんだ、自分が狂ってたから。
そのことがよくわかった。

これを読んでびっくりした。

いつも私は「母は母なりに私を愛してくれていたんだ。正しい愛し方を知らなかっただけ」と自分に言い聞かせるように、それこそ事あるごとに思っていたから。

まだ私が幼稚園児くらいの幼い頃からだ。日中父が仕事に出ていて、母と私が2人でご飯を食べている時。

何の脈略もなく、母はよく私にこう言い聞かせたものだ。

「でも、もし火事が起こったら、パパはあなたじゃなくママを助けるんだよ。しょうがないよね」と。

私は幼いながらに、家族というものには序列があり、母は子よりも必ず優先されるのだな、と理解した。

今考えると、あの当時の父が、火事の中幼稚園児の私を差し置いて母を救出するとはあまり考えられない。でもそんなことは今はもうどうでもいい。母が何を意図して繰り返しそれを私に言い聞かせていたのかはよく分からないが、とりあえず、もし母が私を心から愛していたらそんな事は言わないだろうなと合点がいった。

理由はどうあれ、私は母に愛されていなかったのだった。

これはかなりありがたい視点だ。母は不器用なりに母のやり方で私を愛していると思っていたが、「そんなことないよ。そこまで愛してないよ」と知れた。子は親を無条件に全力で愛してしまうようにプログラムされているので、私も私のキャパの許す限り母を愛し返そうとしてしまっていた。危ないところだった。

借りがでかいからイヤイヤながら借りを返そうとしていたが、そもそもそんなに借りていなかった。なんとなく母には従わないといけない気がしていたのもそのためだ。でも、そろそろ私の貸しの方がでかくなっていそうだ。

よく考えたら、母は絶対に自分を優先する人だ。それを私は「人間だから己の身が一番可愛くて当たり前だ」と思っていたが、どうやら親というものは己よりも子を可愛いと感じるらしい。母の「己を優先する」とは、具体的には、私の気持ちに寄り添うより、自分の正しさや自分の気持ちを主張することを優先する。必ずだ。

そのおかげで、私は相手を論破する手法を幼いころから身につけてしまった。母に何かを説明しようにも、いつも激昂されて全然別の角度から私を責め立ててくる。だから子どもの私は、物事を順序立てて論理的に説明して、母でも分かるように必死に事実を伝えようとした。あなたを責めているのではなく、ただ事実を説明したいんだよ、と。それでも全然話が噛み合わなくて、「でもあんたはあんな事してきたよね」みたいな全く別の話題で言い返してくる母を見上げながら、「あぁ、この人は外で出会った普通の大人たちとはちょっと違うんだ」とハッキリと思ったことを、鮮明に覚えている。小学3年生のときだ。「母は普通じゃない」と認識するようになった記念すべき日だ。

普通の親がどんなものかよく分からないが、たぶん、子どもが悲しいと訴えてきたとき、普通の親はまず「そうなんだね、悲しいんだね」と感情を受け止めるんではなかろうか。愛する人の悲しんでいる姿を見て、「こいつを責め立ててやろう」とは思わないのではないか。

いくら不器用でも、もし愛していたらそうはならない。愛の伝え方が不器用で伝わらないとしても、攻撃はしてこないはずだ。

 

あぁ本当に気が楽になった。この人には愛されてなかった。必死に愛し返さなくてもいいんだ、と。

 

被害者でいたい

私は親にいじめられたいかわいそうな子でいたいのだろうか

 

数年前までは、もう一人暮らししてしばらく経つのに、夜中に実家で寝ている夢を見ては飛び起きて泣いていた。

若い頃の母親に似た髪型の女性を直視できなかった。

よく自分の中の幼い自分が話していた。体を渡すこともあった。

 

それなのに最近はもう実家の悪夢を見ない。母親の若い頃の写真を直視できる。解離もあまりしなくなってしまった。

 

ずっと安定した精神状態を手に入れたいと願って色々してきたはずなのに。

今は特にトラウマもなく、ただただ生きる気力のない虚弱体質の人になってしまったようだ。

 

ここでいつもこの不安がつきまとう。「私の親は普通で、私がおかしいだけなのではないか」と。

私がただ、わがままで無気力で世間知らずの恩知らずの出来損ないの人間の可能性が出てくる。

それは嫌だ。だから私は被害者でいたい。苦しがっていたい。そういう心理状態が作り出した被害妄想なのか?

 

「すごい被害妄想だね」と言ってくる母親の顔が目に浮かぶようだ。

 

もう疲れた。どっちでもいいから楽にしてくれー。

私を自分の一部だと信じて疑わない両親

私は小さい頃から両親の家を自分の家だと思ったことがない。

子供部屋は「自分の部屋」だったが、いつなんどき攻め入られるか分からなかったので、廊下から足音が聞こえるたびに息をひそめて身構えていた。

初めて一人暮らしした時、これが自宅という感覚か、と感動したものだ。

 

私は両親を親だと思っているが、家族だとは思っていない。両親は2人でひとつの運命共同体みたいな感じだが、私がその輪の中に入っていたことはないからだ。

両親も、私を家族として迎え入れている感じはない。自分たちの意のままに動く人形だと思っているような感じで、私に自我があることには気付いていないようだ。家族という「個人の集まり」ではなく、自分のおまけだと思われている感じだ。

 

私はそうやって育てられてきたから、大人になった今でも両親に逆らうことはあまりない。

こいつらまじか...とはいつも思っているが、それを言っても彼らには理解できないし、被害者面で逆上してもっと面倒なことになりそうなので言わない。

 

私は、両親が私に強いてくることは大抵嫌いだ。自分の家以外に泊まること、人と一緒に(とりわけ両親と一緒に)寝ること、車移動がめちゃくちゃ嫌いだが、両親は何事もないようにそれを強いてくる。

これらが嫌いであることは何度も伝えているが、両親は自分たちが嫌じゃないことを私が嫌いだという事実が分からない。意地悪しようとしているのではなく、本当に理解できないようだ。

 

昔からそういう感じで育てられてきたので、この人たちには何を言っても無駄だと諦めている。諦めて、両親の前では何でもないふりして、家に帰ってから寝込んでいるわけだが、それゆえに両親も不都合な真実には気付かないふりをしている。

 

この人たちはあと何年生きるのだろう。もしかしたら30年くらい生きるかも。そうしたら、私は人生の半分以上の時間を、この人たちと共に過ごさねばならないことになる。

なんとなく両親に申し訳ないから、両親より先に死ぬのはやめようと昔から思っていたのだが、もういいか。この人たちに気を遣っているのも馬鹿らしいし。私が毎日死にたいのは、彼らの英才教育の賜物なんだし。別にもういいか。

 

仮に彼らがこれを読んだとして、「また大袈裟な」「すぐ反抗して」「親不孝者だね」「嘘ばっかり」と言われるのが目に浮かぶ。彼らには、自分たちに不都合な真実を受け入れる能力が備わっていない。じゃあもうどうでもいいか。全部はなからどうでもよかった。分かりあうのは無理だ。もう終わりにしたい。

母は娘を否定する

実家を出て親と離れて暮らすようになってから、しばらくは夜中に悪夢で起こされた。悪夢は決まって同じ内容だった。

実家の子供部屋のベッドで寝ている夢。

飛び起きてしばらくは、ここが実家だと思い込んでいる。汗をかいて、息が切れて、涙が出てくる。

そのうち意識がはっきりしてきて、あぁ、ここには私一人しかいない。と気付いて安堵する。

 

そんな夢もここ数年は見なくなった。

 

たまに実家に帰ると、母と普通に談笑する。時には腹を抱えて笑うこともある。だから、母も歳を取って、少し大人になったのではないかと期待してしまう。

 

そうするとつい気が緩んで、母に私の話を聞いてほしくて、自分の話をしてしまうことがある。

 

「私って〇〇なんだよね〜」

 

すると母の態度は豹変する。

 

「そんなのお母さんだってそうだよ?」

「そんなのあんただけじゃないよ?」

「それはたまたまでしょ」

「そんなの全然偉くないよね?」

「〇〇ちゃんはこうだってよ?」

 

別に私は自慢話をしたわけじゃない。普通に自分のことを話しただけだ。でも、母は否定せずにはいられないらしい。

 

「お母さんって〇〇だよね?」

と話しかけても必ず言い返される。

 

「うん、あんたは××だよね?」

「またそうやって人のことばっかり言って」

「それはあんたが悪いんでしょ?」

 

私は悪口を言っているわけではない。なのに全く斜め上の切り口から否定してくるので会話にならない。

 

母には私が発した言葉とは全く別の言葉が聞こえている。

 

そういうとき、あぁ、そうだったと思い出す。

母はそういう人間だ。

いくつになっても変わらない。

母は生まれつきこうなのだ。

 

そうでなければ、私は実家に帰るたびに寝込んだりしていない。実家にいる夢を悪夢だと思わない。飛び起きて自分が一人でいることに安堵して涙を流したりしない。

怪我や体調不良を訴える幼い私に「ばちが当たったんだね」と吐き捨てたりしない。私が寝ている時を狙って、ものすごい音で執拗にドアを開けたりしない。幼い私に繰り返し「あんた障害があるんじゃないの」と吐き捨てて顔をしかめたりしない。私の頭のてっぺんから爪先まで、ひとつひとつ丁寧にけなしたりしない。幼い私の目の前で、父に向かって「こんなこともわかんないんだ〜」と私に呆れたりしない。

 

母は虐待を受けて育ったのだと思うが、恐らくそれに加えて障害がある。

生まれつき、母の脳は子供を受け入れられない。母には客観視する能力がない。

子供を産める身体ではあったが、子供を育てられる身体ではない。

 

それをすぐに忘れて、歩み寄ろうとしたり、わかってもらえるのではと期待してしまう。

 

私には母はいない。

 

実家に帰ると体調を崩す

私は実家に帰るといつも体調を崩す。だから実家に帰った次の日は、両親には内緒で有給を取る。

 

年末に実家に帰ってから、数ヶ月体調を崩していた。

そして、6月に父の誕生日のために家族でお祝いの旅行をした。そこからまた3ヶ月ほど体調を崩した。

 

そして9月、用事があって実家に帰った。急なことだったので、次の日に有給を取れなかった。だが、あまりにも体調が悪かったので半休を取った。体調が戻らず、3日間休みを取りながら騙し騙し働いた。

 

今回のことで、私はモノ扱いされたときに体調を崩すらしいと分かってきた。母は私が1人の人間であると認識できない。自分のモノだと思っているし、私に彼女とは別の自我があるとは想像できないし、自分の思い通りに動くと信じて疑わない。いわゆる境界線がないのだ。

私は両親を「育ててくれた人」だと思っているが、「家族」という感覚はよく分からない。家族一心同体みたいな気持ちはかけらもない。

だが、あちら側、特に母親は家族は一つの生命体だと思っているらしく、自分の体の延長に私があると思っているようだ。

そのように接されると、私は激しい嫌悪感を抱いて体調を崩すらしいことがわかった。

 

起き上がるのも辛いし、座って仕事することができなかった。横になっていないといられない。お腹は空かないが、何かジャンキーなものを食べたい。手足が痺れて重だるく、背中がゾワゾワして、喉元が苦しい。息を吸うたびに身体中の神経を逆撫でされるような感覚になる。何も考えたくないが、思考があっちこっちに飛んでしまう。

 

いつもならこういうとき解離が起きる。

解離した後は体がどっと疲れるが、心はなぜだかすっきりとする。幼い私が苦しみを引き受けてくれるようだ。

 

今回も、はじめはまた解離してこの子にばかり苦しみを処理させてはいけない、と思っていたが、あまりにも苦しくて途中から「助けて、出てきて、お願い」と縋りついた。

 

しかし結局今回は解離は起きなかった。

 

そんなところでまた翌週末も実家に帰らなければいけなくなり、恐怖から逃れるために本を読んだ、

 

「 子は親を救うために「心の病」になる」という本。

 

それを読んで、かなり心が軽くなった。

 

母は自覚していないだろうが、恐らく両親に虐待されて育った。その母の苦しみを私は1人で引き受けたのだな、と納得した。

私は「苦しかったよね、ありがとう」と母に理解されたいと、ずっと願っていたのだと気付かされた。いつもいつも母に「気付いて、分かって、お願い」と訴えかけていたのだと分かった。

 

一方で、母には私の苦しみは理解できないのだとも知った。母には自分を客観視する能力がない。恐らく発達障害だ。世の中を自分視点でしか見ることができない。いつでも自分が主人公なのだ。

そこに虐待の傷が合わさって、一般的な人間とはかけ離れた思考のシステムを持っている。

 

だから、「無理」なのだ。理解されることはない。それに気付けたことで安心した。もう理解されようとしなくていいんだ。

 

そして、そんな母に育てられた私が「普通」になることも無理だ。私は生きていることが辛い。いつも死にたい。死にたいのが辛くて、死にたいと思わないようになりたい、と願っていた。でも、それは無理だ。何をどう頑張っても、私が死にたくなくなることはない。だから、もう頑張らなくていい。「生きたい」と同じように「死にたい」と思う。生が苦しみであり、死が救済であることは、私の真実だ。

 

私は、私は今本当に生きているのだろうか、もしかして気付かないうちに死んでいるのではないか?と思うことがよくある。

あれ、これって夢かな?と思うこともある。ほんとにしょっちゅう思うし、その度に体をつねって確認したりする。

 

私が現実世界だと思っているこれらは、全て私の五感と脳を通して感じていることだし、実際には思い込みの幻かもしれない、と思うこともある。胡蝶の夢だ。

 

いつもそんなことを考えていたので、本の中でそのことに触れられていて嬉しくなった。私だけじゃないんだ。

 

全部幻かもしれない、、、それならもうどうでもいい。

 

寝込んでいることが悪だと思っていたが、別にいいか、、、。実在するかも分からない両親の家に帰っている私は偉いな、、、。

 

そういえば、私の望んだ答えが返ってくるこの世界ってすごいな。だってスマホでぽちぽち検索してただけで、こんな本に出会えるんだから。他にも毒親のこと、発達障害のこと、私の望んだ都合のいい答えがサッと提示されるこの世界はすごい。

やっぱり全部私の妄想なのではないか?だってあまりに都合が良すぎる。

 

いつか仏様や神様の元に帰るとき、私は夢から覚めるんだ。

夢の中で修行を積んで、今世のお勤めを終え、ああ夢だった、よかったって安心するんだ。

そして、夢も悪くないな、とか思ったりするんだろうな。

 

それでいい。それがいい。