聖なる性

アリシア・キースの名曲 Holy Warに、こんな歌詞がある。

"What if sex was holy and war was obscene. And it wasn't twisted, what a wonderful dream."

 

きっと大人になったら多くの人が思うとおもうのだが、セックスって生命の神秘って感じがする。ほとんど全員が、セックスによってこの世に生を受けるのだから。

職場の同僚が妊娠報告をしてきたら、「おめでとう!」とみんなが言う。もちろんみんな、どうやって妊娠したかは大体分かっている。

宗教にもよるのかもしれないが、「妊娠したってことは、セックスしたってことよね?なんていやらしいのかしら」とは誰も言わない。

みんな、セックスが神聖なことは知っているのだ。

 

でも、どうしてここまで「イケナイコト」として扱われるのだろう?子供たちからはなるべく隠して、お茶の間でも話題にしないようにする。

多くの子どもたちは、イケナイコト、気まずいこと、大人だけが覗ける隠された世界だと思っているんじゃないかな。

 

私も、今でこそ映画のワンシーンで感動的なセックスが出てくると泣いたりするが、子供の頃は「キャッッ!エッチだ!!」としか思わなかった。そして友達と学校でひそひそ話したりして。

 

人間が今も生き残っているということは、種を存続させる意思が強いということだ。だから、性欲がある程度強いのは当たり前のことだ。進化の過程で得たそのプリミティブで強烈な衝動を、脳が発達する前の子どもたちに扱いきれないのはよく分かる。

脳の発達は25歳まで続くというし、そのくらいの年齢まではみんな性的な衝動に振り回されるかもしれない。

 

だからそれまではひた隠しておくのか?理性的な生殖行為と、犯罪になりかねない暴力的な行為を一緒くたにして?

本来、性的な魅力を感じることと種の存続は、生物として同義だったはずだ。それが今は性的な魅力を「感じる」こと、「感じさせる」ことを禁じるのにやっきになっている。そして身体の一部は公衆の面前に晒すことすら許されない。服を着て生まれてくるわけではないのに、服を着ることを前提とした歪な生き物だ。

 

もちろんルール作りは大切だが、性を全て封じることはできない。どんなに汚らわしいと遠ざけても、人類が滅びる最後の時まで確実にセックスは神聖であり続ける。

 

繁殖と社会性を両立しなければいけない、猿ではなくなった人間の抱える、大きなジレンマだと思う。