ここ数年、自分のジェンダーやセクシュアリティについてよく考える。
考えても考えてもよく分からないので、答えは出ないまま結局考えるのをやめる。
そしてしばらくしてまた考える。
そんなループを繰り返していたが、最近ようやくちょっとずつ分かってきた気がするので、ここに備忘録として書いておく。
ただ、受け(ネコ)の男性に対して性的な感情を抱いているときだけは、男寄りになる。
次に、ロマンティックオリエンテーション・恋愛的指向は、男女両方。
今までいわゆる「ひとめぼれ」をしたのは全員女性。可憐さとどこかキリッとした凛々しさを併せ持つ女性にめちゃくちゃ弱い。
一方、なんとなくじんわりと「好きかも〜?」と思ったのは全員男性。背が高めでガッチリしていて声が低い人がタイプ。
ただし、好きと依存の違いがよく分からないので、好きっていうのがどんな感情なのかは理解できていない。
ちなみに、現在付き合っている彼氏のことはめちゃくちゃ大好きだが、たまに彼氏のことを間違えて「パパ」と呼ぶくらいには倒錯してるので、これは恋愛感情かと言われるといまいちピンとこない。
そして、セクシュアルオリエンテーション・性的指向も、男女両方。
ただし自分の性自認が男性になっているときはタチらしいので、ネコ男性しか対象にならない。
一方で、自分の性自認が女性のときは、ウケ(というのもおかしいが受け身な)男性、ネコ女性が対象になる。
性的指向が"攻める側の男性"に向くことはないのか?というのがずっと引っかかっていたポイントだったのだが、色々考えた結果、あんまり無さそうだという結論に至った。
そしてこれこそが、今まで男性としかセックス したことのない私の違和感の最大の原因だと思われる。
つまり、男性に攻められることによる心理的興奮は皆無に等しいので、男性とのセックス中は大抵物理的刺激と妄想とで興奮を作り出している。
そりゃ私も彼氏を毎回女の子だと妄想したり、タチ男性に成りきったり、果ては彼氏の存在を必死に抹消しながら事を致すのは申し訳ないと思っている。
訓練すれば、男性に攻められる女性として真っ当に夜のオトナな勝負ができるのではないかと思ったこともある。
でもダメだったんだから仕方がない。
そんなことを言うとめちゃくちゃ味気ないセックスしてんだろーな、と思われるかもしれないが、
セックス中は唯一、私が恋愛感情を感じる時間だと言っても過言ではない。たまーに、彼氏が好きすぎて死ぬかもと思うことがある。
性的に興奮こそしないが、腕の中に包まれているだけで「ほにゃ〜」と幸せな気分になる。これが好きってことなの?
性行為中に自分の性自認が変わっているかも!?と気付いてから、Google先生で
「セックス中 ジェンダー 変わる」とか
「性交時 性自認 変わる」とか
いろいろ検索したが、それらしいものは出てこなかったので、この記事がインターネットの大海原で同志と巡り合えていたら嬉しい。
そんなわけで男だ女だとややこしく語り散らかした私だが、お恥ずかしながら今まで男性としか性的な関係を持ったことがない。
恋人に至っては、現在の彼氏以外にお付き合いしたことがない。
と、ここで疑問が湧いてくる。
私はただの考えすぎなヘテロセクシュアル・ヘテロロマンティックなのでは?
いや、社会が男女の関係を強要しているだけで、それがなければ私は今頃女性と付き合っていたのでは?
私は本当に人を好きになるという事をまだ知らなくて、それを知るには彼氏以外の人と関係を持ってみるしかないのでは?
などなど・・・
とても厄介で、いくら考えても意味はないと分かっていても、抜け出せなくなることがある。
結婚なんてものはさらに恐怖である。
日本では異性としか結婚できないばっかりに、私は私が本当に好きな人と結婚したいと思っているのか?
それとも"普通に結婚"したいから異性と付き合っているのか?
と考えるわけだ。
もう切実に同再婚が当たり前な世の中になってほしい。
最後に、彼氏のお話を。
それまでガッチリしたタイプの男性としか関係を持ってこなかった私にとって、中性的な体型の現在の彼氏はかなり特殊だ。
正式には「付き合おう」みたいな合意はないので、付き合っているのか定かではないが。
逆にそれが良かったのかもしれない。
私の中での彼は、性別を超越している。彼を男だとは思っていないし、私を女扱いすることもない。
行為中に女の子だと思おうとすれば、ギリギリなんとか頑張れるくらいの小柄さだし。
クロスオリエンティッドな私にとってこの上ない相手である。ありがたや。
締めは、以前より私がバイブルとして崇めている神BL漫画、
「世田谷シンクロニシティ」を置いておきますね。
恋をするのは女の子、でも欲情するのは男の子な大学生の爽やかラブストーリーです。
受けのメガネ男子が最高なんだよなあ(性癖)
《追記》
"攻める側の男性"に私の性的指向が向く瞬間、ありました。
それはズバリ「私の精神年齢が3歳になっているとき」です。
3歳児の私の状態でこのブログを書くことがまずないので、