自己肯定感が低いので、生きるのが辛い。
どうすれば自己肯定感が上がるのか?これは私の永遠のテーマである。
とある自己啓発本にて、自己肯定感をあげるために、自己肯定感が低くなるトピックにまつわる自分の心の傷を洗いざらい挙げてみよう、と書いてあった。
まず、自己肯定感の低さの守備範囲が広すぎて、どこが根幹なのかがよくわからない。
そのため、突発的に「死にたい」と口にしたときに脳内で再生されている出来事をメモするようにしてみた。
するとどうやら、周りが見えていない、気が利かない系の出来事が急に再生されると、脳がフリーズして自動的に「しにたいしにたいしにt...」と口走っているらしきことが分かった。
じゃあ「周りが見えていない・気が利かない」にまつわる嫌なことを赤裸々に書き出してみよう。すると、「よく耐えたなあ自分」と思えて自己肯定感が上がってくるらしい。
フムフム。予想はしていたが、やはりほぼ母親のことだ。書き出す際のルールは、誰かを責めるようなことは書かないこと。
母親を責めてはいけないと思いつつ、「こんな育てられ方されりゃあ、そらそうなるよなあ」と思った。
母親のせいにしたところで何も変わらないので、なるべく自分の中に原因を見つけたいのだが、
「魚の死んだような目をしてる」と、本当に嫌そうに、汚いものを見るような目でよく言われていたことを思い出すと、
そんな育てられ方しても、表面的には一応普通の人間に育ってるし、ホモ・サピエンスってすごいなーと思った。
ホモ・サピエンスとしての自己肯定感は上がった気がする。
今になって冷静に考えれば、まだ幼稚園かそこらの我が子に「腐った魚みたいだ」とか「障害者」とか不謹慎なことを言ってくる親は普通ではないが、
何せ幼かった私は、おかしいのは母親ではなく自分だと思ったに違いない。
さらに、私の父親は普通の人だが、母のそんなところを「幼さ」としてある種可愛がっている節がある。
母親は明らかに発達障害だが、それ故の天真爛漫さや可愛らしさがあるのは、私の目から見ても分かる。
さすがに父も、母が「あんた障害児なんじゃないの!」と我が子に向かって文句を言っているとは知らなかったと思う。
でも私は、「なぜ父はこんなおかしな人と結婚したんだ!?おかしいのは私なのか??」と思った。
私は、母が嫌いなわけではない。ここまで育ててくれたことを感謝していることには、間違いない。
ひどい虐待をされたわけでもない。教育熱心な母のおかげで、世界が広がった。
ただ、自分の運命をほんのちょっと呪ってしまう。子は親を選べない。
完璧な人間などいない。
幼い頃の私は、悲しい思いをしながら毎日懸命に生きていたのかもしれない。
あの時の悲劇を忘れないで!という記念碑的な意味合いで、いまだに私の脳内にいろんな記憶を流し込んでくるのかもしれない。
それならそれで、もうしょうがないかもしれない。私たちは一蓮托生なのだから、幼い私が悲しいときは、大人の私も悲しむしかない。
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