人生は短いか長いか

先日、仲の良かった友人が亡くなってしまった。

 

20代の身近な人が亡くなることが初めてだったので、衝撃を受けた。

その人とのいろんな思い出を思い出して、もう会えないのかと思うと、さみしい。

 

元気にしていてくれたらいいなと思う。

 

あの時はごめん、内緒にしてたけど実はこうだったんだよ(笑)、あの時はありがとう、、、

と、今になって言えることがたくさんある。

笑ってくれるだろうか。

 

亡くなった人のことは「あんなに立派な人だった」と神聖化してしまいがちだが、そうさせないのが彼の凄いところだ。

 

いいところも、しょーもないところも、たくさん思い出して笑えるところ。

この話、いっしょにしたら楽しかっただろうなと想像するだけでニヤけてくる。

 

ありきたりな言葉だが、誰からも好かれていた人だった。

 

まだまだ若かったから、まさかこんなに急に会えなくなってしまうなんて、想像してなかった。

 

「人生は短い」

と、よく言うけれど、私はこれまでの人生を短いとは思わない。それなりに長く苦しかったと思う。

 

そして、残りの人生を想像して、「あと残り50年以上はあるのか、長いなあ。私に完走できるだろうか」と不安に思っていた。

 

でも今回のことで分かった。人生が短いか長いか、それは神様の手中にある。

50年後に死ぬか、明日死ぬかは、神のみぞ知るのだと。

 

たとえ明日死ぬ!と自分で決めたとしても、本当に死ぬかどうかは神様の意志で決まる。

逆に、今日私が朝、生きて目覚めたこともまた、神様の意志だと。

 

だから、聖書にも書いてあるし、ありふれた言葉だけど、「未来のことを思い悩むのはやめよう」と思った。私に決定権はないのだから。

 

いつ死ぬかわからないのだから、一日いちにちを大切にしなさい、なんてありきたりだけど。

 

私はふとした時に、もう人生ギブアップしたい、と思うことがよくあります。

でも、いつギブアップできるかどうかは、神様しか知らない。ギブアップしようかどうしようかと悩んでも意味はないんだと、改めて感じました。

 

あなたの分まで懸命に生きるなんてことは言わないけど、いつまでも思い出すんだろうな。

その連鎖がきっと、生きていくということ。

 

 

余談。

仏教で、この世で起こることはすべて海のように繋がっている、と言うけれど

誰かと会えなくなることが、誰かの心に思い出を蘇らせて、その思い出と共に生きていく。

深くに潜ったら、きっと本当に全部繋がっているんだ、と実感した。

 

いのちは輪っか。

 

だから、元気でね、また会う日まで、どうか安らかに、と心から思えた。