"自分を貴重品のように扱えば、自分は強くなる"
と、名著「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」の中でジュリア・キャメロンさんは言っているし、その他の自己啓発本でも同じようなことを聞く。
私は体力、精神力、どれを取ってもとても弱いので、ぜひ強くなりたいと自分を貴重品のように扱ってみるものの、これが非常に難しい。
気を抜くと自分のことを本当に適当に扱ってしまう。
例えばめんどくさいので寝る前に化粧水をつけなかったりする。そして肌が荒れ、肌荒れした自分を見て「キモ!」と思うといった具合。
その他にも、成績のためなら勉強できるが、自分の趣味となると全く勉強しない。なるべく体力を使いたくないので、ずっとゴロゴロしている。なんの能力もなく努力もしない自分を見て「ほんとダメなやつだなぁ」とイライラし、さらにゴロゴロする。
食べ物も、なるべく安くて手間が掛からないものを食べたいと思ってしまう。でも体に悪そうなものばっかり食べるのもなぁ...と思って結局何も食べなかったりする。
よくよく考えれば、いくらポンコツとは言え人間の体や心は神秘だなぁと思う。iPhoneですら凄まじいのに、さらに比べ物にならない精密さだと感心する。
なので、せめてiPhoneくらいかそれ以上には丁寧に扱うべきだとも思うが、なかなかそういう気にならない。
なぜなのか、考えてみたところ、多分これだろうという答えに行き着いた。
それは、「自分がめっっちゃ嫌い」だということ。
私は他人のことを滅多に嫌わない。それは、自分のことが本当に嫌いで、それ以上に嫌いな人がいないからだと思う。
だが自分のこととなると、見た目の醜さ、怠惰な性格、頭の悪さ、気の利かなさ、などなど枚挙に暇がない。もう本当に死ぬほど嫌い!
多分、死んでほしいと思っていると思う。
私とて四六時中自分を嫌っているわけではなく、自分が「大嫌いなアイツ」であることを忘れていることもあるし、「わたし案外悪くないじゃん〜」と思うこともたまーにある。
そういう時は素直に自分を大切にできる。
で、なんでこんなに自分が嫌いなのかを考えてみた。
特別悪いことをしたわけでもないし、借金まみれなわけでもないのに、死んでほしいほど嫌われる筋合いなんか無いじゃない。
いや、ある。そういえば、小さい頃から母親に貶されてきた気がする。
褒めてくれたことももちろんあったが、基本的にわたしの一挙一動、頭の先からつま先まで、難癖をつけられていた気がする。
母親からケチをつけられる自分も、何も言い返せない自分も、たまらなく許せないほど大嫌いだった。
母親からすれは冗談だったのだと思うが、難癖の英才教育を受けてしまった私は、親元を離れた今でも母に変わってせっせと自分に難癖をつけている。
正直、自分に難癖をつけていると安心する気さえする。
母親に難癖魂を植え付けられ、いまだに生まれてきたことさえ恨んでいると思うと非常に腹立たしく、闇落ちしそうになる。
しかし、この難癖魂を取り除くにはやっぱり、誠実に自分を貴重品のように扱うしかないのだと思う。
めちゃくちゃ長い道のりになりそうで、生きている間に出来るようになるのか不安になります。
は〜生きるのつら〜笑