深読みのしすぎが、私の人生を辛く悲しいものにしていると思う。
人の表情、行動、バックグラウンド...などなど様々なデータをもとに、AからZまでパターンを並べて、どんな行動を取るべきか考える。
考えてもキリがないことを分析しまくって、
なんて反応したらこの人を傷付けたり、怒らせたり悲しませたりしないかを考えることで、自分の身を守っている。
でも、大抵は杞憂に終わる。だって相手は赤の他人で、他人の思考を予測するなんて不可能だから。
そして、大抵の人は、何も考えていないから。
深読みしすぎる人と比べると、大抵の人の頭の中はすっからかんで、何も考えていないし、記憶力もよくない。
深読み人間が過去のデータを遡って、「なんであの時はこうだったのに、今回はこうなの?」と混乱するのに対して、彼らはなんにも覚えちゃいないと思う。
さすがに彼らもたまには分析をするが、そのパターンはせいぜいAかBかくらいしかない。
でも、その分析結果を自信を持って発表するので、深読み人間は恥じ入った気持ちになる。
「パターンFかと思ったけど、Bだったのか…考えつきはしたけど、きちんと絞り込めなかった。もっと分析力を高めて、気配りできるようにならないと」
深読みしすぎることがどれほど苦しいか実感している私は、「考えすぎないでどんどん行動してみよう!」という自己啓発本をよく読んでしまう。
でも、結局もっと苦しくなるだけ。
見えてしまっているもの(あるいは見えていると思っているもの)を、見ないふりして突き進むのは恐ろしい。
おばけが見えているのに、見ないふりをして墓地を突き進むみたいな感じ。
普段頭がすっからかんな人たちだって、たまには考えるし、傷ついたり怒ったりする。その可能性を無視して勢いで突き進むと、三歩でバテる。そして墓地のど真ん中で立ちすくむしかなくなる。
そのうち全て面倒になって、「もう私はこの世で生きていく能力のない欠陥品だ。世間に出るのはやめよう」と内にこもる。
楽になるには、深読みする人としない人は脳の作りが違う、と思うしかない。
彼らに何を言ったってどうせ覚えてないし、覚えていたとしても何も考えていない。
なので、彼らの思考回路は安定していない。
彼らが私を絶えず傷付けてくるのは、故意ではなく、見えていないだけだ、温かい眼差しで歩み寄ろう。
そしてなんにも考えない人たちには、世界がどういう風に見えているのか想像しよう。
と思うようにしたい。(願望)
は〜生きるのつら〜笑
ちなみに、
人を聡明に見せるのは頭の回転の速さではなく、自信だと思います。なので、キリッと賢そうなあの人も、深読み人間ほどの分析力はないかもしれませんね。。。