「心の傷」なんて言葉を使うのは甘えだ、と思っていた。
悲しんだり怒ったりするのは、弱いやつのやることだと思っていた。
小さい頃からすぐに泣く子を見下していた。
自分の精神の弱さがずっとコンプレックスだったから、それをひた隠しにして生きてきた。
でもある時から、急激に涙もろくなってしまった。なんでもないことなのに、すぐ泣くようになった。
「悲しい」「悔しい」ではなく、辛かった。
でも人前で泣くわけにはいかないから、腕にたくさん爪を立てた。そうすれば我慢できた。腕の傷を見るのも、満足感があった。
心が辛いときは、体の痛みは麻痺しているから、強く引っ掻いても平気だった。
自分が何をどう感じているのか、分からなくなっていた。映画を観るのも、小説を読むのも面倒になっていった。
でも最近になって、自分を自分として扱うのではなく、「貴重品のように」扱うといいらしいことを知った。
自分のことを大切にすると、甘やかしてろくでなしになってバチが当たるような気がするから、自分ではなく貴重品のように扱う。
なかなか難しいけど、少しずつできるようになってきている気がする。
そうしたら、何かのきっかけで心が痛んで、涙が自動的に出てくることに気づくようになった。
何がトリガーになっているのかは分からないし、自分が悲しいのかすら分からない。
でも、「心が痛い」という感覚が分かるようになってきた。
かさぶたをうっかり引っ掻いたら血が出てきたような感じ。
精神的に傷付いているというよりは、物理的なダメージを受けている感覚。
自分が何にダメージを受けているのか理解できなくても、「こんな事の何が悲しいの!?なんでこの子はこんなに弱くて出来が悪いの!?」と思わなくて済むようになってきた。
そうしたら、私の心って色んなとこに傷があるんだな、と客観的に見られるようになってきた。
昔は「心の傷だなんて、こんなに恵まれた生活をしている私が言ったらバチが当たる。世の中には一日一日を必死で生き抜いている人もいるのに」と思っていたけど。
でも今は、実際に傷があるんだから、否定して無いものとするより治した方が効率的だな、と思えるようになってきた。
いまだに「お前ごときが甘ったれたことを言うな」と非難する声がどこからか聞こえる。
でもちゃんと訓練したら、なにがトリガーになっているか分かって、ちゃんと傷を癒して、生まれてきて良かったって思えるようになるのかなあ。
幼い頃の私、ごめんね、あなたはなにも悪くなかったのに、弱虫の出来損ないだと頭ごなしに否定した。あの頃のあなたがいたから、今ここにいるよ。耐えてくれてありがとうね。
いつか生まれてきてよかったって思ってみたいよね。一度でいいから。