死にたい

平井堅さんの「ノンフィクション」という曲に

"惰性で見てたテレビ消すみたいに 生きることを時々やめたくなる"

という歌詞がある。

 

「死にたいなあ」と思うときは大体こんな感じ。

もうたくさん生きたし、そろそろいいかな、なんて思う。

 

死にたいというよりは、「人生いつまで続けたらいいの?」的感覚かもしれない。

 

ベランダの柵をひょいと越えれば、この世界の外に出られるのに。この数センチをなぜ超えないんだろう?なんで私はこの柵の内側に留まっているんだろう?と思う。

 

家族に、友人に、マンションの住人に、職場に迷惑をかけたくないから?

自分の人生なんだから、自分の好きなようにしなよ。もうやめたいならやめればいいのに、とも思う。

 

また、せっかく死んでもあの世があったらどうするんだ?まだ人生が続くようなら死に損だ!とも思う。自分の存在が無くならないなら意味がない。

 

部屋の中にいてもいつも意識はベランダの柵の外の世界。あそこを超えてしまおうか。様子だけでも見に行ってみようか…

 

いやいや、そんな夢見てばかりいないで現実と向き合えよ。逃げてるだけだろ。どうせ死なないのに死ぬことばっかり考えやがって。

鬱でもなんでもないくせに。お前のはただの甘えだろ。

 

と頭の中でせめぎ合い。あーもうめんどくさいから死にたいな。でも結局死なない。

 

正直この無限ループにも疲れた。

 

でもたぶん死なない。