お金と時間、どっちの方が大切?

先週、職場のミーティングで親睦の一環としてこんな話題が出た。

 

「お金と時間、大切なのはどちらか?」

 

私は当然時間の方が大切だと思い、大多数の人もそう答えるだろうと思っていた。

しかし結果は、「お金の方が大切」と答えた人が過半数だった。

これには大変驚いた。

 

どうしたらお金の方が時間より大切だという結論になるのか?

何故かこの顔が頭から離れず、その日一日考えてしまった。

 

 

まず大前提として、時間とお金を比較するのはおかしい話だ。

時間はこの世の始まりと共にあったものだし、一方でお金は人間が便宜的に作り出した「物の価値の単位」だ。

物々交換をよりしやすくするための画期的な概念なわけで、この概念がなくなればお金はただの紙切れになる。

 

 

この時点で既に私からすればなぜお金の方が大事だという発想になるのかが理解し難いのだが、さらにこの二つを比較することを考えてみる。

 

条件を揃えて比較したいので、仮に私が今からAとBに分裂するとしよう。

私Aと私Bは全くの同一人物で、これからAは全てのお金を失い、Bは全てのお金を失う。

 

Aは無一文だが、お金がなくても散歩に出て、風を感じることはできる。家にあるテレビなんかを食料と交換してもいい。時間はあるのだから、働いたっていい。

お金は物々交換する際の便利な媒介だが、時間はそれ自体に価値があるのだから、媒介がなくたって時間を使って好きなことをしたらいいのだ。

 

一方でBは一切の時間を失った。散歩に出ることはおろか、紙幣で鼻をかむことさえできない。預金通帳を確認しようにも、時間が無いのだからそれも叶わない。

 

時間を失えば、どんなにお金を持っていたって何もできない。お金だけではない。時間がなければ、所有するあらゆるものを、どうすることもできない。

 

限られた人生の中で、時間は一番大切なものだとすら思う。だって人生は時間そのものなのだから。

 

 

やはりここまで来ても、なぜお金の方が大切だと思う人が存在するのかが分からない。彼らはこう思っているのだろうか?

「時間はいくらでもある、でもお金は有限だ!そんな現実味のない比較をするな」と。

 

だが、時間を大切にする方がよっぽど現実的だと思うのだ。

 

だって、所持金が完全に0になることって現実世界であるだろうか?破産したって0円にはならない。自動販売機の下を覗いたら100円くらい集まりそうなものだ。

 

でも、時間が0になるというのは生き物の真理だ。いつか人は死ぬ。どんな人でもいつか所持時間は0になる。だからこそ時間は大切なのだとも言える。

 

資産を使い切らずに死んでいく人はたくさんいるだろうが、死なない人は今のところいない。

 

お金というものはものすごく大切で、ものすごく便利だ。お金がなければ身を守れないことだってたくさんある。

でも、時間より大切にするのは本末転倒なのではないかと思うのだ。

 

彼らは貧乏な暮らしをするくらいなら死んだ方がマシだ!と思っているのだろうか。それならいくらか納得がいく。自給自足生活でもしていない限り、お金がないことと暮らしが貧しいことはイコールだ。

 

世間の人々は私が思うよりずっと、裕福であることに重きを置いているのかもしれない。それこそ命よりも大切にするほどに。

謎は深まるばかりだ。