最近、ありのままの自分を愛そう的な運動をあちこちで見かけますね
体のサイズ、性別、人種、年齢などなど、ありとあらゆる属性をコンプレックスに思う必要はないんだ、と。
私自身も、小さい頃から親から「お前の鼻はでかすぎる」「目が小さくてかわいそう」「足が太すぎる」などなど
見た目に対して受けた批判は枚挙に暇がない。
しかし幸いなことに、私の顔や体はそこまで特徴がなく、学校というコミュニティから身体的特徴で批判されたことはなかったため、徐々に自分へのイメージが是正されていった。
しかも日本で生まれ育ったので、人種差別という概念すら知らず、「ハーフの子ってかわいいなー」くらいにしか思っていなかった。
日本語が苦手でも、他の言葉喋れてかっちょいいなーと思っていた。
また平成生まれのせいか、両親や環境のおかげか、「男の子はこうで、女の子はこうあるべき」みたいな押し付けを受けたこともあまりなかった。
さらにはインターネットに小さい頃から触れていたおかげか、世の中には色んな人がいるということを、誰に教わらずともなんとなく理解していたし、同世代の子たちも同様だった。
私からすれば、人種差別反対!LGBTQ万歳!とか言われても「ほへ?」という感じだったわけだ。
そもそもそんなことを問題にしている人が世の中にいるということを知らなかったから。
要するに純粋だったのだ。
ただ、成長に従って染み付いた社会の「常識」もある。
初めてアメリカのプラスサイズモデルを見たとき、「すごい美人だけど、すごい不健康そう」と思った。
他人様の健康を勝手に案じるなど全くもって余計なお世話だし、それぞれ体質や事情が異なることは理解しているが、こんなに太って大丈夫なのかな、、、と思ってしまった。
しかし、そのモデルさんのSNSを見たら、私の3000倍くらい健康的な生活を送っていたので、不健康そうなど勘違いも甚だしいことがよくわかった。(例え実際に不健康だったとしても、それを私が気にするのはおかしい話だが)
とにかく、そんなこんなで偏見や差別というものはあまり感じずに、お気楽に生きてきたおめでたい私は
わき毛の写真をアップして「わき毛生やします!」と宣言している人や、
女性にも男性と同じ機会を与えるべきだ!とか、
LGBTQでも結婚する権利がある!とか、
ありとあらゆる世の中の七転八倒を見て、「人間とはいつからこんなに不自由な生き物になってしまったんだろうか…」と、我々が動物だった頃に想いを馳せる。
その頃はきっと生きるのに必死で、誰のわき毛が生えたようが、同性同士が交尾しようが、気にしてなかったんだろうなあ。
無知であることと純粋であることは違うが、無知であるからこそ純粋でいられることもあると思った。
余談ですが…
大学生の頃プレゼンの準備をしていたら、親に何についてのプレゼン?と聞かれたので、
「ゲイについてだよ〜」と普通に答えたら「えぇ…変なことやるんだねwww」みたいな反応だったので普通に引いた。
同級生でゲイについてこんな反応している人は見たこと無いので、やはり世代の差は大きいなとつくづく感じました。