ひとの命がいつ終わるか、その運命は神様のてのひらの上にある、と信じたい。
たとえそれがどんな最期だとしても。
自ら死を選ぶことが、なんの解決にもならないとは、言いたくない。
その苦しさは確かに実在して、切実で、誰かを死に追いやる力を持っている。
でも、たとえそうだとしても、最期は神様の手に委ねられているとしたら、
自分で自分の命を終わらせるかどうかを考え込まなくてよくなるかもしれないじゃないか。
最後、その時が来たら、神様が自分の中に降りてきて、神様が決めた手段で、人生の幕が降ろされるのだとしたら、
明日、生きるかどうかの決定権がはなから自分にないのだとしたら、
明日、生きようかどうしようかと悩む意味がないのだとしたら。
三浦春馬さんが亡くなられたというニュースを聞いて、そんなことを思った。
彼が悩み苦しんでいたのはきっと本当で、その痛みは切実で、自らの意思で「明日生きない」という選択をしたとしても、
最後は神様が彼の命をその手のひらですくい上げて、そっと空の上に送ったのだと思う。